4月4日
朝6時に女将と車で出発。外環⇒関越⇒上信越⇒北陸そして震災の影響で途中から通行止めの能登有料道路を降りてあとは海沿いの国道。
途中の街の家々の玄関にはそれぞれ赤、黄、緑の張り紙。赤い紙の張られた家は今にも崩れそうで、人の気配も無い。
田舎に着いたのが、午後1時すぎ。家の前には親族の車が5,6台。家の前の県道は激しく地割れを起こし片側車線の全てに砂利が敷いてある。家の周りのブロック塀は8割位倒れたまま。おふくろは車で道路に出る時に見通しが良くなったと喜んでいる。
じいちゃんに対面。笑っていた。じいちゃんとの思い出が次々思い起こされる。厳しくも優しいじいちゃんだった。いつも助けられていたような気がする。心の中で御礼を繰り返した。
通夜は町の斎場で7時から。弟夫婦が到着。次々と焼香に訪れる沢山の会葬者。祭壇の写真はじいちゃんがいつも自慢げに見せてくれた、消防団での功績が称えられ勲章をもらったときの記念写真。最高の写真。通夜も9時ごろ終了。棺の運ばれた別室で通夜振る舞い。徐々に人も減り12時を過ぎた頃棺の前で座布団を枕に横になったとき、初めて涙が出た。
翌日、告別式を終え初七日も済まし、帰路に。
いつもは楽しい思い出を胸に幾度となく走った帰り道。その日はチト辛い。
途中のSAで、アサヌマくんに電話。
「明日走るから、お店に6時集合ね」
家に到着したのは、夜11時ごろ。十分に寝た。
