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2007年4月18日 (水)

4月4日

朝6時に女将と車で出発。外環⇒関越⇒上信越⇒北陸そして震災の影響で途中から通行止めの能登有料道路を降りてあとは海沿いの国道。

途中の街の家々の玄関にはそれぞれ赤、黄、緑の張り紙。赤い紙の張られた家は今にも崩れそうで、人の気配も無い。

田舎に着いたのが、午後1時すぎ。家の前には親族の車が5,6台。家の前の県道は激しく地割れを起こし片側車線の全てに砂利が敷いてある。家の周りのブロック塀は8割位倒れたまま。おふくろは車で道路に出る時に見通しが良くなったと喜んでいる。

じいちゃんに対面。笑っていた。じいちゃんとの思い出が次々思い起こされる。厳しくも優しいじいちゃんだった。いつも助けられていたような気がする。心の中で御礼を繰り返した。

通夜は町の斎場で7時から。弟夫婦が到着。次々と焼香に訪れる沢山の会葬者。祭壇の写真はじいちゃんがいつも自慢げに見せてくれた、消防団での功績が称えられ勲章をもらったときの記念写真。最高の写真。通夜も9時ごろ終了。棺の運ばれた別室で通夜振る舞い。徐々に人も減り12時を過ぎた頃棺の前で座布団を枕に横になったとき、初めて涙が出た。

翌日、告別式を終え初七日も済まし、帰路に。

いつもは楽しい思い出を胸に幾度となく走った帰り道。その日はチト辛い。

途中のSAで、アサヌマくんに電話。

「明日走るから、お店に6時集合ね」

家に到着したのは、夜11時ごろ。十分に寝た。

2007年4月17日 (火)

言い訳

4月3日輪島のじいちゃんが94年の人生に幕を下ろした。

4月4日通夜

4月5日葬式

4月6日筑波公式練習

4月8日筑波レース

4月9日~11日店内模様替え

4月12日ツーリング下見

4月13日店内模様替え

ブログ書く暇無かった。

2007年3月25日 (日)

石川県輪島市

石川県輪島市

 僕の田舎。祖父母、両親が暮らしてる。

輪島の海は透明度が高く10Mも沖に出ればすぐに水深は5Mぐらいに。水中眼鏡を装着しシュノーケルを咥え、色々な魚を眺めながら泳ぐ。イカが身の危険を感じ吐いた墨がイカの形になるのを見たことある?地元の子供たちは、ウニを採っては沖の岩によじ登り食べている。最近はくらげも多いけど、海中から見るくらげも神秘的。長く伸びた触手もよく確認できるからよけながら泳げる。海から上がれば目の前は、シャワー完備のキャンプ場。そこにタープを張り、海に入る前に火を入れた備長炭で焼くのは能登牛や朝市で仕入れたサザエやアワビ。それから「持っていきなさい」と無理やり持たされた実家で採れた野菜。クーラーBOXで冷やされたビールやワインを片手に日没まで掛けてゆっくりゆっくりたいらげる。胃袋が消化するのに時間が欲しいときには、食べ物を空高く放り投げる。1Mぐらいあるトビが目の前まで急降下してきてそれを咥えまた大空に舞い上がる様を堪能する。そしてまた食べて飲む。

僕が1年通して一番リラックスする時間。千枚田、ねぶた温泉、軍艦島、輪島塗、朝市、御陣乗太鼓、透き通る海。そして僕の田舎。

今日の朝、震度6強だって。

ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!

そして思い知らされた事、自然に対して人の力など無力。

電話が繋がったのは、その事実を知ってから2時間後母親の携帯。4人および親類全員無事。

母曰く「さすお父さんが設計しただけあって家はびくともしてない」

ウチの父は元スーパーゼネコンの一級建築士

その瞬間の話を詳しく聞く…

帰りたいと素直に言えず「人手いる?」

「大丈夫、大丈夫」あっけらかんと母

結局何をすべきか判らずブログを書く僕

本当にいい所。行ってみて。

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